20代 女性
2012年4月~2012年5月 (4週間)
日常会話マンツーマンコース6時間コース
プレゼン&ディスカッションクラス2時間


私は2012年4月より4週間、CNE1に留学しました。4週間という短い期間ではありましたが、とても充実した、楽しい日々を過ごすことができました。

もちろん英語を学べたことも大きかったのですが、それ以上に何ものにも代えがたい、貴重な体験をすることができました。

留学前までは、英語力、特に”スピーキングスキルを向上させる”、当たり前ながらもちろんそれがメインの目的でしたので、「4週間後には今の自分よりも英語が話せるようになろう」「日本語→英語に訳そうとする脳から、英語で考えられる脳になろう」「ベトナムでの生活にて鈍ってしまっていた英語の発音を矯正しよう」それだけを考えていました。(実は、主人の海外転勤の都合で、現在ベトナムに住んでいます。)

なので、その時は、まさかこんなにも自分自身と向き合うことになり、自分にインパクトを与える経験になるとは考えてもいませんでした。

これから述べることは、プライベートな内容を含むので少し恥ずかしい気持ちもありますが、私の今の素直な気持ちや感じたことをこの場を借りて、皆様にお伝えできたらと思っています。また、もちろんそれだけではなく、CNE1でのレッスンや生活についても私なりの視点でご紹介できたらと思います。

この体験記がフィリピン留学、CNE1への留学を検討されている方々、これから控えている方々の少しでも、ご参考になれたら幸いです。

CNE1に留学するまで

結婚をきっかけにベトナムへ移住

私の今の職業は、”主婦”です。主人と結婚する前は、イベント(展示会)のディレクターとして仕事をしていました。そこでの経験は色々な部分で学ぶところが多く、もちろん楽しいことばかりではありませんでしたが、毎日が刺激的でした。

そんな中、主人(その当時はまだ彼ですが)がベトナムへ転勤することに決まり、そのタイミングで結婚することになりました。私は昔から海外で生活することに対して憧れをもっていたので、怖さや不安は一切ありませんでした。2010年10月よりホーチミンへ移住をしたのですが、そこでの生活はとても刺激的で、見るもの感じるものが新しく、慣れないながらも楽しい時間を過ごしていました。

自分を見失う。自己喪失…自分は一体、何者なのか?

しかし、そんなベトナム生活も1年が過ぎた頃から、次第に、「自分は何も生み出していないのでは?外に出かけても、食べて話して買い物して…ただそれだけ。」と感じるようになっていきました。

もちろんそれはとても贅沢なこと、幸せなことです。ただ、そんな生活を続けているとなんというか、次第に空虚感に苛まれるようになっていきました。

「一体私は何者なのか。私は一体何がしたいのだろうか。」

もちろん主婦である私の大きな役割は、掃除洗濯・料理などの家事全般をはじめとして、主人を精神的にサポートすること、そして、乱太郎(ペットのうさぎです)を健康に育てること。それを精一杯努めることが私のミッションだと思っていましたが、どうしても毎日のむなしさや悶々とした気持ちを拭うことはできませんでした。

また、ちょうどその時は、ホーチミンからハノイへの移動が決まり、環境も大きく変わった時期でした。実は、同じベトナムでも、一年中夏の気候のホーチミンとは全く異なり、ハノイは冬に突入する時期。どんよりとしたもやがかった暗い寒い気候が、より一層、私の鬱々とした気持ちを加速させました。

もちろん、そんな中でも目標はありました。ベトナムへの移住が決まってから、”語学をがんばる”という目標を立てていたので生活をするのに最低限必要なベトナム語も学びつつ(メイン言語はベトナム語です)、おそらくずっとベトナムにいる可能性は低く、世界共通言語の英語を学ぶほうが将来的には間違いなく役立つだろう、ということで現地の英語学校に通っていました。

ただ、そこでの授業はグループ授業、かつ毎日通えるコースも少なく、毎日通えたとしても1日2時間程度というものでした。それとは別に、家庭教師もお願いしていましたが、正直金額も高く、満足いくような頻度で学ぶことはできませんでした。

主人はもちろん、仕事を通してベトナム語・英語を使わざるを得ない状況なので日々語学力が向上しているのが明らかでした。そんな彼に比べ、自分で機会を作らなければ英語を使うことがなかった私は、悔しいことになかなか英語が上達できませんでした。(ホテルや外国人が多く訪れるお店・レストランなどで使う機会はありましたが、残念ながらその範囲はたかが知れてます。)

もちろん、英語を向上させたいという気持ちだけは常にありましたがなんというか、ぼんやりとした目標でしかありませんでした。(ちなみに、留学を終えた今、振り返ってみて感じるのは、その当時も自分なりにできることはくさんあり、それに対してただ真剣に取り組んでいなかっただけということです。)

何をやっても続かない中途半端な自分。自信を持てない自分。

そんなわけで、ベトナムに移住して以来、悲しいことに横這いな成長率。自分に対して焦りや苛立ちをすごく感じていました。

これに限らず、いままでの私を振り返ってみると、仕事に関してだけでなく何事に関しても、興味の範囲は広いのになかなか物事が続かない。自分が何がしたくて、どうなりたいのか、自分に何が必要なのかなど、自分への根本的な問いに対する答えがいまいちよく分かっておらず、常に悶々とした、手探り状態で日々を過ごしていました。

何をやっても中途半端…いまいちしっくりきていないというか真剣ではないというか、そのような感じです。感情も鈍感で、自分に正直でなかった気がします。そんな状態なので、もちろん自分に対して自信を持つことができていませんでした。

そして、何かに向けて一生懸命取り組んでいる人に対し、変な話、正直な話、尊敬の念を抱きつつも同時にとてもうらやましく思う気持ちもありました。

CNE1へ留学してから

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このような生活をしばらく送っていたのですが、そんな状態である私をみかねた主人が、ある日突然、「フィリピン留学いってみれば?」のひとこと。そこから話はあっという間に進んでいきました。正直、ハノイの太陽のない鬱々とした気候から逃げ出したい一心もあり、すぐに井坂さんにコンタクトを取り、4月から4週間留学することに決めました。

そして、大げさではありますが、それが私を大きく変えました。

CNE1への留学を通し、主に2つ得られたことがあります。それは”学習方法”と”自己認識”についての気付きです。

CNE1への留学で得られた2つのもの

1: 学習方法

1つ目としては、”自分にとってのベストな英語の学習方法を確信できたこと”。これは英語に限らず、何かを学習するにあたりとても大事なことだと思います。やはり、1対1での集中したレッスン、そして1日中きれいな発音の英語に囲まれて過ごすことはこの言語を習得していくに当たり、私にとってベストだと改めて感じました。

よく考えれば、母国語の日本語でですら、1対1で約2時間(50分×2コマ=1レッスン)話続けるというのはかなりハードなことです。それを英語でとなると、相当に脳味噌を使います。なので、時には脳が疲弊しすぎて、一番最後の授業のときには思考停止状態のようになってしまったこともありました(笑)

思ったように言葉がでてこない自分に対して、悔しさを何度も感じました。午前中は比較的調子がいいのに、夕方にはそれがうまくいかない。まだまだベーシックなところが不安定なのだと改めて認識できましたし、それを安定させたい、そうなればある程度は成長しているのだと自分なりに感じることができるのではと思いました。

実は、私は学生時代に2度ほど短期間、アメリカとアイルランドへ留学した経験があったのですが、そのときはもちろんマンツーマンではなく、グループ授業でした。ですので、自分から積極的に話さないと機会を逃しますし、ある程度がんばって臨んだとしても限界があります。

それに比べ、マンツーマン方式は、圧倒的に話す量が異なりますのでスピーキングスキルが絶対的に伸びます。やはり、学んだこと(単語や表現)を実際に声に出して使ってみる、アウトプットをしないと本当の意味で身についたことにはなっていないと思うので、その時間を多く取れる、1対1で学ぶレッスンというのはスピーキング力を伸ばすためには必要不可欠だと感じました。また、先生方は、発音や文法の間違いを指摘して下さるだけでなく、より適切な単語や表現を模索し、教えてくれました。この姿勢に私はとても感動しましたし、先生方の質の高さを感じました。

2: 自己認識

そして2つ目ですが、これは自分にとって本当に大きな出来事となりました。それは「自分が今後どうなりたいのか」「何が好きなのか」という、自己認識が明確になったことです。

これは、実は、授業中に使用していたテキストやスピーキングテストをきっかけとして得られたものです。私が使用していたテキストでは、自分のことに関するものや意見を求める形式のものが多く、先生からの質問も「なぜそう思う?なぜそれが好きなのか?なぜ…」の連続でした。

日本語でですら答えがでてこない、これまで気にも留めていなかったことに対しても、自分に向き合い、考え、答えを見つける。

この作業の連続は、しばらく忘れかけていた自分を取り戻し、再認識するのに多大な影響を与えました。

もちろん英語はコミュニケーションの手段のひとつに過ぎません。ただ、私にとって英語は、なりたい自分に近づくため、自分のことを認める・好きになるために必要不可欠なものだと改めて感じることができました。そして、シンプルに、私は英語を学ぶことが好きということも改めて認識することができました。

留学前に「ハノイでの生活はつまらない」「家事がメインの生活はつまらない」さらには、「ベトナムがあまり好きではない」。そんな風に不平不満を少なからず感じていた自分を、今とても恥ずかしく思います。

なぜなら、今思うとそれは、自分に対する苛立ちや不安、将来への焦りなどの感情を自分の取り巻く環境にただぶつけていただけでした。

驚くことに、留学を終えて帰ってきた今、とても充実した日々を過ごせています。すべてを前向きに、いい方向に捉えることができています。まさにようやくハノイでの生活が始まっているというような感覚です。何事も内なる自分次第で、見える世界がこんなにも変わるのかと驚いています。

言葉の力 どうして英語を学ぶのか

この、状況を前向きに捉える姿勢は、CNE1にいる先生方から学んだ大きなことのひとつだと思っています。日本とはバックグラウンドが異なる彼らの生き方や考え方・姿勢に触れとても刺激・感銘を受け、そして何よりも勇気を貰うことができました。

それができたのも、英語を通して”会話”ができたから。もちろん、時にはコミュニケーションに言葉なんて必要なくお互いに想い合えば、心で通じることもあります。ただ、言語の力、言葉の力を借りたらもっともっと自分自身のことを表現できますし、伝えられる。そしてまた、もっともっと相手の伝えたいことや考え方が理解ができる。

私はそれが、自分の知識や思考の幅を拡げ、さらにはこの世界に対する理解を深め、そして何よりも、それが自分のことをよく理解するためには欠かせないものだと思っています。いまの私の英語に対する確固たるモチベーションはまさにそこにあります。”新しい物事を学ぶこと””新しい世界を知ること”で初めて見える・感じることがあり、それが何よりも自分のことを知るのに役立つだろう、と。

自分なりの基準を持つということ

実は、私は、自分自身のことをよく理解するために何が好きで何が嫌いか、自分にとって何が正義で何が悪か、そういった自分なりの基準を常に追い求めています。なぜなら私は、残念ながらあまり器用なタイプではないので生きるにあたり、その基準がないと自分を見失ってしまいがちだからです。

また、これは主人とも話していることなのですが、将来的に我々も親になるにあたり、両親である自分たちが物事に対する基準をそれなりにきちんともっていたい、それで未来の子供たちと接したいと強く思っているからです。

もちろん、全てを明確にする必要はありません。完璧な親など存在しませんし、子供を育てる過程で彼らから学ぶこともたくさんあるでしょう。そしてもちろん、残念ながら、世の中の全てを理解することは不可能です。ただ、ある程度の基準をもっていることは、自分たちを見失うことから私たちを遠ざけ、そして自分たちの家庭をよりよいものにするだろうという風には考えています。

もちろん、現在は”Google Translate”をはじめとした様々な翻訳ツールを駆使すれば、大半のことを知ることができます。しかし、ダイレクトにその物事・事象を感じることは難しいです。わたしは”考える”のではなく、ダイレクトに”感じたい”。

自分なりの基準を日々追い求めるにあたり、感じられるものが日本語の範囲でしかないのと世界なのかでは、圧倒的に数が違います。もちろん数が多ければいいというわけではありませんが、私はできる限り沢山のものを浴びたいし、単純にそのほうがより刺激的で面白いだろうとも思います。

CNE1の学校環境 机に向かう勉強だけでは得られないもの

また、今回の留学で感じたのは、英語を学ぶにあたってもしかしたら一番重要なのは、形式的ないわゆる”勉強”ではなく、もう少し内なるところからくる”探究心”や”好奇心”、”目の前の物事や人に対して興味を持つこと”なのかもしれないということです。

相手のことを知るためには、そのひとのバックグラウンド・文化に対する理解が、少なからず大事な要素のひとつとしてあると思います。

幸いにも、私の先生をはじめとするCNE1の先生方は、授業を通じてだけでなく休み時間などの日常会話の中でも、私の探究心や好奇心を刺激してくれました。彼らの好きな映画・アーティスト・歌・食べ物・本、そして信念…それらを教えてもらうことで、英語への興味がますます高まりましたしもちろん、彼ら自身についてもっともっと知りたいと思うようになりました。

それができたのは、CNE1の学校環境のお陰だと思っています。なぜなら、大半の先生方が同じ敷地内に住んでいるので、授業中以外にも先生を見つけて話をすることができます。週末に、先生と一緒に少し遠くまで出かけたりといった機会もありました。そんな風に、授業以外の時間帯にする自由な会話からも、私はたくさんのことを感じることができました。

同じ目的をもった仲間

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また、先生だけでなく、幸いにも私と同時期に滞在されていた生徒さんたちは、魅力的で面白く気が合うひとが多かったので、くだらない話、時には真面目な話をし、丁度いい具合に気分転換ができました。もちろんそれだけではなく、お互いの勉強方法などを共有し、そこで新しく気づくことも沢山ありました。

留学前は、「この時期は生徒の大半が日本人」と聞いていたので自分に厳しくいかなければいけない環境だなと思っていましたが、留学を終えた今思うのは、”自分次第”ということです。

ここに留学しにきている生徒さんは、英語力を向上させたいという自分と同じ目的をもった仲間なので、お互いを高めあえるとてもいい存在だと私は感じました。実際、日本人同士でも、英語で話をすることも多かったですし面白いことに、違和感なく英語で会話をすることができました。もちろん、日本語で会話をすることもありましたが、それがちょうどいい息抜きにもなります。これは相手があってのことなので、英語or日本語はその都度、臨機応変に対応していました。この環境は、自分次第でどうにでもなるのではないかと私は思います。

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また、CNE1では、食事も先生・生徒関係なく一緒の食堂でとります。まさに家族のような生活。面白いのは、一日でも姿を見かけないと、物凄く久しぶりのような感覚になること。そのくらい、常に一緒にいる環境になれてしまったので、留学直後にひとりでマカティ市に滞在したときはめずらしくひとりで淋しい…と感じました。もともとは1人でも大丈夫なタイプだったので、これもまた、新しい自分との出会いでした(笑)

終わりに

何はともあれ、英語という言語を習得できれば、現状、日本語がメインでしかない私が見ている世界は、間違いなく、圧倒的に拡がるでしょう。たくさんの考え方・物事に触れることで、自分なりの取捨選択が明確になり、尺度が見え、そして何よりも自分のことをもっと知ることができると信じています。それを考えるとわくわくし、興奮して眠れません。

このような気づきを与えてくれたCNE1での体験は、私にとって本当に貴重で大切なものです。20代最後の年に、新たなターニングポイントに偶然にも運良く出会うことができ、本当に感謝しています。それもこれも、井坂さんをはじめとする経営者の方々、スタッフの方々、CNE1の先生方、そして同時期に滞在されていた生徒さん、皆さんのお陰です。皆さんと過ごした時間は、私にとって本当に充実した価値のある素晴らしいものでした。

また、そもそもでこのフィリピン留学へのきっかけを与えてくれた、私のわがままを受入れて応援してくれた主人には、感謝してもしきれません。本当にありがとう!!

今回の留学で、ますます英語が好きになりましたし、以前は何も知らなかったフィリピンのことをもっともっと知りたいと強く感じています。間違いなく、これは留学していなかったら得られなかったことです。「考えているだけではだめ、行動することではじめて見えてくる」改めてその大事さを実感しています。

次にまたCNE1で勉強ができる日が、今から楽しみでなりません。それまでは楽しみながら、自分でできることを継続して学んでいきたいと思います!そして、常に自分に対して正直に、真摯に強く生きていきたいと願います。

長々と大変失礼しました。自分への備忘録としての文章でもあることを、どうかお許しください。このように自分の思いをかたちとして残しておくことができる貴重な機会を与えてくださった井坂さんに、この場を借りて改めて感謝申し上げます。

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